ふりだしに戻る〜最終回


稲刈りの済んだ木村式自然栽培の田んぼを見てきました。
誰もいない、シンとした田んぼです。
晩秋の肌寒い空気と、日中のやわらかな陽射しが田んぼに注ぎ、
土埃がキラキラと舞ってとても綺麗でした。
藁の匂いや土の香り。懐かしさがよみがえってきます。
大地に包まれているような、幸せな気持ち。
先日いただいたあの美味しいお米は、この大地で獲れたのですね…(しみじみ)


毎年、毎年、季節とともにめぐっていくお米づくり。


春、田起こしをすると、土から出てきた虫を啄ばみに鳥たちがやってくる。

田植えの頃には水が張られ、水面に映る家の灯りが美しい。

真夏には青々とした苗が風にそよぎ、蛙たちがにぎやかに歌う。


実りに向かって穂が頭を垂れ始め、秋祭りのお囃子を聞く頃には稲刈り。




そして冬。田んぼは土の中の小さな生き物たちを抱きながら、静かに眠る。



地球上の生きとし生けるものすべてが過不足なく生きていけるように、
いかに自然の摂理が完成されたものになっているかが、
自然農・自然栽培といったものに辿りついた人たちによって、世に知られるようになってきました。
今後、自然農・自然栽培と呼ばれる手法が、宗教的・哲学的な背景に依存することなく、
科学的な検証もされていくことで、決して俗っぽいものではなく、
現実的なものとして、広く一般社会に受け入れられることを願っています。


今年の春、思いがけず木村秋則さんと木村式自然栽培というものに出会って、
夢中になってその世界を追いかけてきました。
稲が刈り取られてスッキリとした田んぼに佇んでみて、
私は 世の中が今、この田んぼと同じように、
「ふりだし」に戻ろうとしているのを感じています。


自然は、私たちが便利なものとひきかえに 昔に置いてきてしまったものを、
声なき声で、懸命に思い出させてくれようとしている気がしてなりません。


今の世の中、このままじゃいけない… 多くの人がもうわかっているのに、
何をどうすればいいのか わからなくなっている。
それならばまず、自然の声を聞こうとしてみてはどうでしょうか。
農業や園芸をするといった直接的なことではなくても、
道に生えている草一本をフォーカスしてみるだけでもいいのだと思います。
星空を見上げるのもいい。口にした作物をしみじみと味わうのもいい。
脈絡がないようでいて、それらはすべて、自然回帰へとつながっています。
そこから、一滴のしずくが波紋のように広がるが如く、
私たちの心に何かをもたらしてくれるような気がします。


それはきっと、見ようとすれば見えず、聞こうとすれば聞こえず、
文章にして伝えたくても、言葉にした途端にどこか薄っぺらなものになり、
掴もうとすればフッと消えてしまうような、頼りげのないものでしょう。
でも、心でなら感じ取れる、あたたかで確固たる感触があるはずです。


そしてそれは元々、貴方の心の中に備わっていたものなのだと気づくでしょう。
自然界に元々備わっているように、私たちの中にもちゃんと備わっているのです。
なぜならば、私たちも自然の一部だからです。


そのことに気づいたとき、貴方の傍らに大切な誰かがいて、
何も言わなくても分かち合うことができたなら、
こんなに幸せなことはありません。


『花に鳴く鶯、水にすむ蛙の声を聞けば、
  生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける』 「古今和歌集」序文より


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今日で私のブログ「木村式自然栽培に夢中」は終わりです。
ブログは終わりですが、自然栽培の取り組みはこれからも応援するつもりです。


そして私もまた「ふりだし」に戻って、大いなる自然の偉大さに抱かれながら、
日々の生活を真面目に、正直に、暮らしていこうと思います。


最後に、ここへお立ち寄りくださった皆様へお礼申し上げます。
どうもありがとうございました。              
またどこかの田んぼで皆様とお目にかかれますように♪
       
                              Lippia 拝

 自然栽培米を炊く!


「ブログを見ている皆さんに、是非木村式自然栽培米のよさを伝えてください」
一足早く、獲れたての新米を少しだけ分けていただきました。
※会員の皆さん、お先にごめんなさい<(_ _)>
 今年度の会員の試食分は別にちゃんと確保されているとのことですので、
 ご安心くださいね。



私は日頃からご飯はお鍋で炊いています。
夏はスッキリと炊くのに琺瑯の重いお鍋。
冬はふっくらと炊きたいので土鍋。
デトックス効果を期待して玄米を炊くときには、圧力鍋。


獲れたての新米だと、水分量が多いだろうと思い、今回は琺瑯のお鍋で
スッキリと炊くことにしました。


心をこめて、やさしくお米を研ぎました。
最近は「お米を洗う」って言うそうですね。



お米の表情(?)を見て、しっかり水分を吸っていたら火にかけます。
料理はやっぱり、電気じゃなく火を使いたい♪



ちょっとだけ中を見てみました。クツクツと音がして、お米が炊ける匂いがします。



クツクツとした音が消え、小さくパチパチ鳴ってきたら、そろそろ炊きあがりの合図。
目で見て、耳で聞いて、匂いを嗅ぐ。五感すべてを使うのがお料理。楽しい!
ここで蒸らして、じっとガマンの子です。



炊けましたー!
ふっくら、つやつやの木村式自然栽培米のご飯です。
うわぁ… 何だか感動します。早く家族に食べさせたいっ!


夫や息子が帰宅する時間にちょうど炊きあがるように逆算して火にかけたので、
炊きたてのご飯を食卓へ並べることができました。
夫も息子も「おお〜!これかぁ〜」と覗きこんでいます。
手を合わせて、「いただきます」と言って、家族揃っていただきました。


「うん!美味い!!」と息子。
「お父さんは…!?」
「・・・♪」ウンウンと頷いています。
夫が黙って頷いて食べている時は、満足している証拠(笑)
もちろん、私もあまりの美味しさにびっくり☆
ほんのりとした甘みがあり、モッチリしています。上品な味がします。
日頃当たり前過ぎて、ご飯そのものの味を気にしたことがありませんでしたが、
ご飯ってこんなに美味しかったっけ?と改めて思いました。


この美味しさを測る測定器がもしあったとしたら、
その測定器の針がMAXになるくらいとでも言いましょうか!?
うーん… 自分のボキャブラリーの無さが悲しい(泣)


「母さん、明日の弁当にも今日のご飯入る?」と息子に聞かれ、
「ごめーん。あれは試食用にちょっとだけ分けてもらった分だから、もうないわぁ…」
 ↓このときの息子の表情…
    期待→消沈(笑)
これは早く、お米を購入したいなぁ!

 主婦の私も考えてみる

季刊地域」を読んだ後、お風呂の中でぼんやりと考えていました。
私はサラリーマン家庭のごく普通の主婦で、スーパーで買い物をし、
家族が食べるご飯を毎日作っているわけです。
主婦なら、できるだけ安いものを買って、節約しようとします。
でも、そうした意識が強くなればなるほど、返って自分たちの首を絞めているのが、
今の現実なんだということ。


量販店が市場参入するようになり、一括で大量に仕入れ、数を制する者が、
価格を決めるようになっている。品質よりも、利益や価格の話が先行している。
作物の値段が叩き落とされている。
生産側では、重油代や資材代は高騰するばかり。人件費を減らしても、焼け石に水
作物の値段が下がる一方では、もう作物は作れない。
一人勝ちするはずの量販店も、安売り競争の激化で疲弊しているという。
競争に負けた量販店は潰れていく。
節約主婦が1円でも安いものを求めて、スーパーのはしごをしている矢先、
夫の勤務先が 潰れた量販店の取引会社だったとしたら、目も当てられない。
これはもう、共食いだ。すべてが負のスパイラルへ………


それを引き起こしている一端が、私たち消費者なのだ。


これではいけない。お風呂の中でずっと考えました。
ふと思いついたのは、例えば、特売品の大根を78円で買えたら、
ほうれん草は98円のものじゃなくて、158円の方を買ってみたらどうだろう。
信頼のおける作り手が、手間暇かけて作っているものであることがハッキリわかれば、
私は数十円の差は、適正価格として受け入れることができます。


いい食材を手にすると、お料理だってちょっとがんばってみたくなる。
「今日のほうれん草のお浸しはいつもと味が違うよ♪」と言いながら、
得意気に食卓に出すのも、ちょっと気分がいい。
家族が「ホントだ、美味しい」なんて言ってくれれば嬉しい。
今日のほうれん草は、どこそこの誰それが作っていて、
こんな土壌で、こんな手間が掛かっているんだって…なんて話をしながら、
「全然味が違うね〜」と言って家族で楽しく食す。これぞ、食育!?
そちらの効果の方が、数十円をケチるよりもどれだけ大きいか。


すべていいものを買うのは大変でも、1つだけ、いいもの買ってみる。
木村式自然栽培のお米を買うことも、そんな想いの一つです。
主婦が少しずつそのような意識で買い物が出来れば、少しは何かがよくならないかしら。
こうした購買運動の一つでも起きた方が、商品価値が浮き彫りになって、
消費税が一律に上げられたものを買わされるより、マシな気がします。
どうせお金を使うなら、生きたお金の使い方がしたい。

 農産物デフレ

先日、マクロビオティック製品や自然食材を扱うお店「元気屋」さんで、
ものすごく面白い雑誌を見つけました。

この表紙にある「農産物デフレ―適正価格を地域から」という表題が何だか気になって、
パラパラと立ち読みしてみると、これはじっくり読んでみなくては!という思いに変わり、
早速取り寄せてまでして、入手しました。
これ、かなり面白いといいますか、読み応えあります!


目次を見ているだけでも、ハッとさせられるフレーズのオンパレード。
 *現場の声…こんな価格ではやっていけない  
  デフレが農産物にも広がり、野菜も果樹も花も値段が下がっている。…(中略)
  農家が立ち行かなくなったら、めぐりめぐって消費者の不利益にもなる。
 *安売り競争の舞台裏  
  農産物の価格崩壊は一般に輸入やデフレのせいだと考えられがちだが、
  市場原理主義に基づく卸売市場法、大店法の「改正」が
  深刻な影響を及ぼしていることは意外に知られていない。
 *底値買いよりも大切なこと  
  台所経験値である「手間」をかけることを惜しまない人にとっては、必ずしも
  「いい食材=高い」とはならず、むしろ「いい食材でも安くつく」が実現できる。
  しかし「手間」を嫌う人は、その壁は越えられない。

中でも、編集長インタビュー記事は秀逸でした。 
 *浜矩子さん(エコノミスト)「自分さえよければ病」からの脱却
浜女史は最近、TVの討論番組でも論客としてよく登場されていますが、
合成の誤謬」「ユニクロ栄えて国滅ぶ」という論文で話題になった方です。
この雑誌の中でも、2009年のノーベル経済学賞が、
これまで市場原理主義的論者に授けてきたことに反して、
エリノア・オストロム女史とオリバー・ウィリアムソン氏に与えられたことを例に挙げ、
これからの世界経済に新しい展開を示唆する動きがあると紹介されていました。
   時代状況に応じて賢く合理的に動くことは、ある意味創造的ではあるが、  
   このような合理的な選択をみんなが右にならえでやりだすと、
   全体としては非常に不合理な結果を生み出してしまう。
   「自分さえよければ」を追求する結果、お互いをつぶし合ってしまうわけで、
   何とかその状態から脱却しないことには、まさに「そして誰もいなくなった
   という状態になってしまう。
このくだりには、深く頷きました。浜女史は、切れ味鋭くバッサバッサと切り捨てる方で、
賛否両論あるようですが、私のような一般人にも耳馴染みがよいよう、
わかりやすい言葉で説明してあり、最近気になっている人の一人です。


この雑誌を読んでみると、閉塞感に押しつぶされそうになっている農業が、
文字通り「生き残り」をかけて改革しようと、
全国各地で、様々な取り組みを興していることがわかります。
木村式自然栽培実行委員会が目指すものも、その一つなのではないかと思いました。


この季刊誌、内容は硬派であるけれども、ビジュアルも雰囲気のあるもので、
手に取りやすい本だと思います。

 ついに稲刈り!2


稲刈りに先だって、ちょっとした儀式もありました。
儀式といっても、祭壇を設けたり祭主を招いたりするようなものではなく、
皆で「恙(つつが)無く稲刈りができますように」と願い、
田んぼ(の神様)に向かって一礼をする、といった簡単なものでした。
宗教的に変に偏り過ぎず、かといって、
大いなるものへの畏敬の念を忘れてはおらず、私は無宗教を貫いていますが、
こうした感覚を持つことは、人間が自然の中の一部であり、
謙虚でいることを忘れないようにするために大切なことだと素直に思いました。


刈られた稲穂は、コンバインの中で籾と藁(わら)とに分けられています。
カットされた藁は、勢いよく田んぼにまき散らされています。

この藁は春の田起こしまで放置し、完全に乾燥させます。
藁は田んぼ全面に薄く広げておく方が早く乾くので、
積み上げておかない方がよいそうです。

というわけで木村式では、冬のあいだも土自体を耕起はしませんので、
来年から実践したい方はご注意くださいね。


刈り取られた株の跡です。一体、いくつに分けつしているのでしょう!?
お時間のある方、数えてみます?(笑)
しつこいようですが、苗のときは1本か2本しか植えていなかったんですよ〜。


こうして、1時間弱くらいで稲刈りは無事に終わりました。
やはり機械は早いですね〜♪


稲刈りの後は、高橋理事長のお宅でささやかなお祝いの宴がありました。
奥さまとお嬢さんがキッチンでばら寿司を用意してくださっていました。

おお〜!高橋理事長も包丁を手にしています。

あちこちで笑顔が絶えず、和やかな会となりました。
縁と縁がつながって、和となっている光景ですネ♪

お米には八十八の手が掛かるといわれ、だから「米」という漢字が生まれたわけですが、
こんなにたくさんの手が掛かったお米が私たちの食卓へ届いているんだと思うと、
「いただきます」「ご馳走さまでした」と自然に手を合わせたくなるし、
お米を研いでいても、一粒も落とさないように気をつけるようになりますし、
子どもにも「ご飯粒を残さず綺麗に食べなさい」と言いたくなりますね。
というか、そんなふうに思える親(或いはじぃじ&ばぁば)にならなくてはいけませんね。

 ついに稲刈り!1


本日は木村式自然栽培米の稲刈りでした。
お天気にも恵まれ爽やかな秋晴れの一日、田んぼは先日おじゃました時よりも
綺麗に色が乗っており、黄金色に輝いています。本当に綺麗ですね〜♪
登録会員の中で、メールアドレスも登録している人には、
あらかじめ見学案内があり、県内外から多くの人が集まっていました。
おや、人だかりができていますね…


稲穂の比較をしていました。向かって右側から順に、
木村式自然栽培米の朝日/木村式自然栽培米のあけぼの/慣行栽培のあけぼの
…だそうです。

この日の解説者は、JAの営農部長さんです。
メディアから質問攻めでした。
今夏の高温障害の影響もあり、今年のお米の出来具合は、
各報道によるとあまり芳しくないようですね。
そんな中、木村式自然栽培は自然災害に強いといわれるだけあり、
深刻なダメージは受けていません。
(このあと、籾すりをして中のお米を見てみないと、
 安直に最終判断をしてはいけないとは思いますが…)

それにしても、朝日の根株の大きさには驚きます。
田植えの時は、1〜2本しか植えていなかったんですよ。ここまで分けつするとは。
(慣行は4〜5本植えます)
在来種が余計な手を加えられずに素直に育つと、ここまでしっかりとした
稲になるんですねぇ。(しみじみ)


希望者は、手での刈り取りも出来ました。
皆さん、とても楽しそうでしたよ。株は記念に持ち帰る人も♪

さて、そうこうしているうちに時間が来ました。
いよいよ、稲刈りが始まります!(つづく)

 実るほど頭を垂れる稲穂かな

拙ブログをご覧の皆さま、随分とご無沙汰してしまいました。
あとは収穫を待つばかりとなった田んぼでは、
あまり大きな動きがないため、更新が止まっていました。
せっかくお越しいただいていたのに、ごめんなさい。


あと数日でいよいよ稲刈りとなりました!
稲はどんな様子になっているのか、
久し振りに山田さんの田んぼへおじゃましてみました。
以下は10月2日に撮影した田んぼです。

おお〜〜〜!


大きな籾がしっかりとついています。
穂がグーンと下へ向かってしなっていますね。

高橋理事長の田んぼはどうでしょうか?

おお〜〜〜!こちらも!!


田植えのときは、こんなだったんですよ〜。
苗が植わっているのかいないのか、わからないくらい
本当に小さな苗だったのに。



穂はやはり重たそうに垂れています。高橋理事長のお話によると、
「ウチの奥さんが携帯に電話してきてね。
 『お父さん!スズメが今まで見たこともないくらい、たくさん田んぼに来てますよ。
  しかも、うちの田んぼにだけ!』って言うんですよ。 スズメも
  どこのお米が美味しいのか、分かってるんかなぁ?」とのこと。
これはスズメに食べ尽くされる前に、急いで収穫してもらわなくては!(笑)



『実るほど頭を垂れる稲穂かな』―詠み人知らず
   この素晴らしい慣用句を 誰が詠んだのか?
   「詠み人知らず」…名が残されていないこと自体が、
   この句を考えた人の謙虚さゆえ、と解釈するLippiaなのでした。